トランスメディア提供アイコン01 『サプライズよりもサスペンスを好む』

まぁ半分自分語りなんですがまた色々思い出したので。

404 Blog Not Found:ハッカーとオタク
「ある業界の拡大の結果、業界人の視野が相対的に狭くなるという現象は、どんな世界にも起こって来た現象である。そしてそれを見た旧世代が、「業界は死んだ!」というのも。

私に言わせれば、その業界の功労者が「業界は死んだ!」といってからが、その業界の始まりなのである。なぜなら、それは一人では業界を網羅しきれないほど業界が大きくなったということなのだから。今たとえばニュートンをつれて来て、いきなり「超ひも~」と言って彼がついてこれるだろうか?ベルにケータイを見せて、それがどんな原理で動いているか彼がたちどころに理解できるだろうか?

個人の能力に限界がある以上、業界全体を個人で追いきれなく日はいつか必ず来るのである。

そうなった時に、「ひきこもり」は必ず現れる。とりあえず自分の追える範囲だけを追い、その先を見ようとしないものが、必ず現れる。いや、そうなるものが大勢を占めることこそ当然である。

しかしそれだけを見て、「業界・イズ・デッド」というのが早計であることも歴史は証明してきた。

ロックだってすでに何回死んで来た事か。

業界がインフレーションを起こして、その結果「ひきこもり」が増えたとしても、必ずその中から「ハッカー」が登場するのである。彼らにとって、古典は最新の作品と同じぐらい時に新鮮で、まるで最新の作品をむさぼるように古典をあさる。我が電脳界でもそうである。Web 2.0に対するBinary 2.0なんてまさにそうだ。」
(上記記事より一部抜粋)


これで思い出したこと色々。
21世紀が始まったか20世紀が終わりかけていた頃でしょうか。私はどーも当時の映画を見る気になれなくなっていました。

いや、見りゃ面白いだろうし楽しめるだろうことはわかっていたつもりでした。
でも同時に疲れそうな気もしていました。日本映画はガンガン泣かせてくれる、海外の映画は問題提起や深い洞察を与えてくれる、SF映画はCGやデジタル処理でものすごい映像を見せてくれる、アクション映画は大量の爆薬と9mmパラペラムの炸裂を見せてくれる、ホラー映画はとにかくめっちゃくちゃビビラせてくれる(つうか怖がりなので最初から見る気になれなかった(^_^;)…バンバン感情と感覚を揺さぶられる、まるで映画館の中で2時間分のVKテストを受けさせられてるんじゃあなかろうかって感じでした。

アニメもまたしかり。
エヴァンゲリオン以降「セカイ系」なる作品群や「萌え」という言葉やキャラクターなどがハイハイの四つんばい歩きから直立二足歩行のヨチヨチ歩きへと移行しようとしていました。
「セカイ系」はその内面煮つまりの感じが苦手でしたし、「萌え」の方はと言えば嫌いじゃないけどなんだかこっぱずかしい感じがして強烈に見たいとも思いませんでした。

そんなとき、偶然に出会ったのがヒッチコック監督のスリラー映画でした。
きっかけは「裏窓」だったとおもいます。「サイコ」「鳥」などの、ホラーな印象ばかりを持っていたので、「裏窓」のコミカルな始まり方はとても意外でかつ入り込みやすいものでした。
(そういえば「裏窓」の主人公はある意味「ひきこもり」でした。(^_^;)
しかし中盤以降はストーリー(と、グレース・ケリー(^_^;)にぐいぐい引き込まれ、クライマックスシーンではめちゃくちゃドキドキさせられました。

それ以降はもうヒッチコック作品を一気にあさり始めました。近所のレンタル屋にない古典は図書館で借りたり、テレビ放送などで補完しました。おかげで1年間に見たヒッチコック映画は20本を超え、いまではこれまでに見たヒッチコック映画は37本を達成しました。
(ちなみにこれでも全体の7割ぐらい。ヒッチコック監督の映画は53本もあり、中にはプリント版が残ってないのもあるらしいです。)
ヒッチコック監督の映画はどれもこれも「驚き」よりも「ドキドキ」に満ちていました。
(ちなみに投稿タイトルはヒッチコック監督の言葉だそうです。)
じわじわと押し寄せる面白さは当時のVKテストな映画に疲れていた私をすんなりとりこにしました。それだけではなく、映像の素晴らしさも私を楽しませてくれました。「あっあの映画のシーンってこれが元ネタなのかな?」「うわーこのシーンすげえ!」と何度も思ったものでした。思えばチャップリンと同時代ぐらいの人なのに、その映像演出の技術力は今の映画と比べても遜色ないんじゃあないでしょうか。まぁファンの贔屓目でしょうけど。

まぁ私は映画ハッカーにはなりませんでしたが(^_^;、ヒッチコック存命の頃、彼をもっとも評価していたのはハリウッドではなく(作品はともかくヒッチコック自身は晩年の特別功労賞みたいなものを除いてアカデミー賞を取ったことがありません。)て、フランス映画界の批評家でもあったヌーヴェルヴァーグの作家たちでした。(ある意味「映画オタク」で「映画ハッカー」?(^_^;)
フランソワ・トリュフォーなどはヒッチコックへのインタビューを行い、その内容は「定本 映画術―ヒッチコック・トリュフォー」という本になりました。なんでも映画の教科書としても使えるとか。

まぁとりとめもないことを書いてしまいましたが、とりあえず「温故知新」は大切なんだなぁと上記記事で再確認したのでした。

ところで…






ここからはとあるヒッチコック映画のネタバレがあるので注意してください

上記記事のこの部分

「「オタク・イズ・デッド」というのは、単に「アイ・アム・デッド」の勘違いなのではないか?確かに自分の死と世界の死というのは、自分には区別がつかないものなのだから。」
(上記記事より一部抜粋)


で思い出したのが「サイコ」のラスト。
最後の最後でノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)が起こした殺人事件は解決しますが、結局「ノーマン・ベイツの自我」は死んでしまいます。最後に語るのは「ノーマンの自我」ではなく、彼が昔殺し、それゆえ彼が生み出した「ノーマンの母親の自我」です。そして彼女(?)はノーマン(の自我)が死んでしまったことには気付きもしません。それどころか殺人も彼女の仕業であるにもかかわらず殺人すら「ノーマンの自我」のせいにして「ノーマン・ベイツ」の肉体をのっとってしまうのです。
そういえばノーマン・ベイツは剥製オタクでしたっけねぇ…
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by AshikaRecord | 2006-05-28 22:27 | 雑記

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